| 追悼文
(平成20年4月16日)
「クマさん」の思い出
昨年末、敬愛してやまない恩師を亡くした。「クマさん」こと伊藤哲允先生だ。 昭和四十三年大館桂高校から大館鳳鳴高校に転任し、退職する昭和六十年まで同校で教鞭をとられた。専門は古典で漢詩を良くした。教職の傍ら、高校演劇のみならず市民演劇界の重鎮として自ら脚本・演出も手がけた才人であった。 私たち理数科二期の二年と三年のクラス担任だった頃は四十代の半ば。柔道で鍛えた骨太の体格に四角張った顔と太い眉、その外見に似合わない優しい物腰と語り口は、猛者揃いの教師群を圧倒して個性的だった。 先生は、成績が良くても悪くても、その事で誉めも叱りもしなかった。代わりに、自分たちで考えた末の行動に対しては、目を細めてそれを許した。多少常識外れであっても遮ろうとはなさらなかった。それをよいことに教え子たちは随分馬鹿をやった。もちろん、その尻ぬぐいは決まって先生のお役目であった。当時、先生が職員室で上司から度々お叱りを受けていたというお話を別の教師から伺ったのは、だいぶあとだ。今、思い出しても冷や汗が出る。 先生とのお付き合いは、卒業後の方がはるかに長い。とりわけ、正月二日か三日には、「クマ詣で」と称してお宅に押しかけるのが決まりだった。毎回、奥さんの手料理で迎えて下さり、遅くまで飲み明かした。先生は、嬉しそうに私たちの与太話に耳を傾け、酔いが回ると李白や杜甫に託してご自身の半生を語られることもあった。励まされるのはいつも私たちの方だった。この関係は、一昨年、先生が生まれ故郷の北海道へ帰られる直前まで続いた。 教育の変わらぬ原則は、自分が真に所有しているものだけしか子供に与えられないという事であろう。メッキでは保たない。仮にそれを人間力と呼べば、先生のそれは質量ともに桁外れであり、しかも魅力的だった。私たちは、三十数年の長きにわたり先生の人間力に触発され、様々な問題を抱えながらもその時々に自律して生きるべき事の大切さを学ばせていただいたように思う。 先生の奥さんからのお手紙で亡くなる前のエピソードを知った。容体が悪化し家族が集まった時、「オレが死ぬからみんな集まってきたのか、いよいよもって死は近づいたな。大往生だな。」と話されたという。最後に、人生の幕の引き方まで教わった。 平成十九年十二月二十八日、先生は眠るように静かに息を引き取った。享年八十三歳。ご葬儀は正月三日。私たちのあの「クマ詣で」と重なった。
ちょっといい話し
もう昨年末の話になりますが、まったく心当たりのない小包が届きました。 送り主は、渋谷区神宮前「○×ステンドグラス」とあります。 なんだろうと開封してみると、中味は素敵なステンドグラス製の灰皿でした。一枚のメモが添えられていて、その内容に泣かせられました。
「丸山 様 大館のジャズバーでビールをごちそうになりました。○×と申します。ごちそうさまでした。ステンドグラスの仕事をしていますので、お礼に最高級のアンティークグラスの端材で作った灰皿をお送りいたします。使って下さい。マスターに一心堂の方とお聞きしました。母もデイサービスにはお世話になっています。では、お元気で。11月23日 ○×」
そう言えば、昨年の秋口だったでしょうか、何かの会で相当飲んでから立ち寄ったミントンハウスの前で、店を覗き込んでいるなにやら凛々しい(「怪しい」ではありません)「修行僧」のような風貌の若者と出会い、お酒の勢いもあって一杯ご馳走した記憶はありました。(普段、若い男を誘う趣味はありませんので誤解の無いよう) ブラッと一人旅だそうで、ミントンハウスのマスターと3人であれこれ話をしたのでしょうが、内容は断片的にしか覚えていません。折角、大館に立ち寄ってくれた若者に「中年の飲んべえ」が余計なことを口走って大館の心証を害してはまずいという配慮はあったらしく、マスターの話だと、小生、その日は彼を残して珍しく早々と店を出たのだそうです。 さて、小包の荷送り人の住所と名前を頼りにインターネットで調べてみたら、2006年の第3回ステンドグラス美術展で最優秀賞を受賞しているほどの実力者だったのには驚きました。これは、エビでタイを釣り上げる以上の快挙、ビール一杯で有名ステンドグラス作家の作品を釣り上げたことになります。 早速、お礼のメールを送ったら、早速返信がありました。
「ケアセンター一心堂 丸山芳也様 こんにちは。ビールをごちそうになりました五味です。(修行僧ではありません) ごちそうさまでした。 怪しまれて箱を空けてもらえないかと心配しました。鯛まではいきませんが、エビでイカを釣ったぐらいでお使いください。 教室の生徒さんに。ジャズバーの前で会った人におごってもらったんだよ、っと灰皿 を作りながら旅の話などしています。 こちらもネットで拝見しました。スタッフもたくさんいて、みんなの笑顔が仕事環境もいいのかな〜と想像させます。社長もコメントも良かったですし。 実家の母も毎日のようにお世話になっています。介護関係の方には感謝しています。メールありがとうございました。ではまた近くに行った時にでも。」
返信を読んで冷や汗が出ました。 酔った勢いで、髪型(丸坊主)や風貌(哲学者風)から初対面の彼を「坊主」とか「修行僧」とか呼んで遊んでたんでしょうね。あとでマスターに聞いたら、「それほどひどくなかった」と否定も肯定もしませんでしたが、後悔先に立たずとはこの事です。 それにしても、律儀な青年がまだこの国にも居るんですね。 人生まんざらでもないな、オレも頑張ろうと久々に心が潤った出来事でした。 (平成20年1月18日)
謹賀新年
明けましておめでとうございます。 本日1月5日は、ちょうど2年前、当施設を移転オープンした記念日にあたります。 あの年は、その前日が記録的な豪雪で、送迎車がこっちで1台あっちで1台とスタッグし利用者様の送迎に難渋したのを未だに忘れられません。 思えば、神か仏かムハンマドが私たちに試練を科したのでしょう。緒戦で苦汁を嘗めたせいか、おかげ様で以後はなんとか順調に推移しております。 オープン3年目突入にあたって、スタッフ一同、心を引き締め、ご利用者様が安心して明るく楽しく過ごせる施設づくりに一層の努力を続けて参ります。 今年もよろしくお願い申し上げます。 (平成20年1月5日)
秋田わか杉国体トレーナー帯同報告
当施設の田中博美機能訓練指導員はソフトテニス、小生は卓球のスポーツトレーナーとして、おおいに秋田わか杉国体を楽しんで参りました。 楽しんだといっても、田中先生は帯同5日間で体重が6キロ減。顔は日に焼けて真っ黒。その上、目が落ち込んで上野公園付近にたむろする無職自由人の様相を呈して帰って来ました。 スポーツトレーナーというのはかくも厳しい仕事なのです。聞けば、選手宿舎で毎晩遅くまでトレーナー活動をして、おまけに早朝トレーニングにも付き合っていたのだそうです。平均睡眠時間が5時間程度だったとか。 真面目というか何というか・・・。 小生、実は帯同期間中少し太って帰ってきたんだけど、これは誰にも言えないなあ。 物言えば唇寒し秋の暮れ。 (平成19年10月5日)
|